2026.10.25
寛永年間は西暦でいつか|墓石や位牌に刻まれた年号の読み方

古いお墓の竿石や、ご自宅に伝わる位牌、お寺からいただいた由緒書きに「寛永」という年号を見つけて、それがいつ頃のことなのか確かめたくなった――そんな場面でこのページにたどり着く方が少なくありません。和歌山市にございます日蓮宗の寺院、覚王山 妙宣寺と申します。当山もまた、寛永年間の創立と伝えられる寺です。ここでは、寛永年間が西暦でいつにあたるのか、刻まれた年号をどう読み、ご先祖様をたどるときにどう使えるのかを、順を追って記します。
寛永年間は西暦でいつからいつまでか

寛永は江戸時代のはじめの年号で、西暦ではおおむね1624年から1644年までにあたります。寛永元年から寛永二十一年まで、二十年あまり続きました。一つの年号がこれだけ長く使われた例は、江戸時代の前半では多くありません。徳川三代将軍の時代にあたり、幕府の仕組みが形づくられていった時期にあたります。
年号の前後をたどると、寛永の前が元和(げんな)、あとが正保(しょうほう)です。つまり「寛永」と刻まれていれば、元和と正保のあいだの約二十年の、どこかの年ということになります。
| 和暦 | 西暦(おおむね) | 干支 |
|---|---|---|
| 寛永元年 | 1624年 | 甲子(きのえね) |
| 寛永二年 | 1625年 | 乙丑 |
| 寛永三年 | 1626年 | 丙寅 |
| 寛永四年 | 1627年 | 丁卯 |
| 寛永五年 | 1628年 | 戊辰 |
| 寛永六年 | 1629年 | 己巳 |
| 寛永七年 | 1630年 | 庚午 |
| 寛永八年 | 1631年 | 辛未 |
| 寛永九年 | 1632年 | 壬申 |
| 寛永十年 | 1633年 | 癸酉 |
| 寛永十一年 | 1634年 | 甲戌 |
| 寛永十二年 | 1635年 | 乙亥 |
| 寛永十三年 | 1636年 | 丙子 |
| 寛永十四年 | 1637年 | 丁丑 |
| 寛永十五年 | 1638年 | 戊寅 |
| 寛永十六年 | 1639年 | 己卯 |
| 寛永十七年 | 1640年 | 庚辰 |
| 寛永十八年 | 1641年 | 辛巳 |
| 寛永十九年 | 1642年 | 壬午 |
| 寛永二十年 | 1643年 | 癸未 |
| 寛永二十一年 | 1644年 | 甲申 |
干支を併記したのは、古い石碑や過去帳では年号のかわりに干支だけが刻まれていることがあるためです。「甲子」「丙子」といった文字が見えたら、この表と照らし合わせると年の見当がつきます。
改元の年は、西暦に直すときに一度立ち止まる
年号は年の変わり目にきれいに切り替わるとはかぎりません。寛永も、元和十年の途中で改元されて寛永元年となりました。ですから元和十年と寛永元年は同じ年を指します。古い文書で、同じ年の出来事が元和十年と書かれていたり寛永元年と書かれていたりするのは、このためです。
終わりも同じで、寛永二十一年の年末に改元が行われ、正保元年となりました。寛永二十一年と正保元年も、同じ一年のなかにあります。ご先祖様の没年を調べていて「同じ人の命日が二通りの年号で書かれている」と感じたときは、改元をまたいでいないかを確かめてみてください。
旧暦と今の暦は、ひと月ほどずれている
もう一点、注意しておきたいのが暦そのものの違いです。当時使われていたのは月の満ち欠けをもとにした暦で、今の暦とは日付がずれます。旧暦の元日は、今の暦ではおおむね一月下旬から二月中旬にあたります。
そのため、旧暦の十一月・十二月に亡くなった方は、今の暦に直すと翌年に入っていることがあります。たとえば「寛永十年十二月」の没年を西暦1633年と機械的に置き換えると、実際には1634年の出来事だったということが起こります。年単位でおおよその時代をつかむぶんには表の対応で十分ですが、命日まで正確にそろえたい場合は、暦の違いがあることを頭の隅に置いておくと取り違えずに済みます。
墓石や位牌に刻まれた「寛永」を読むとき

江戸時代前期の墓石は、風化で文字が浅くなっていることが多く、読み取りに骨が折れます。刻まれている内容は、だいたい次の要素でできています。
| 刻まれているもの | 読み方の手がかり |
|---|---|
| お戒名(法名) | 正面中央に大きく刻まれることが多い。院号・道号・日号などが付く場合がある |
| 紀年銘(年号) | 側面か正面の端。「寛永十三年」のように漢数字で縦に刻む |
| 月日 | 「二月十五日」のほか、「二月吉日」「吉祥日」とだけ刻むこともある |
| 俗名・続柄 | 裏面や側面。「施主」として建てた方の名が添えられることもある |
読み取りのこつは、まず数字だけを拾うことです。「十三」「廿(二十)」といった字が見えれば、年号が特定できなくても年代の幅が絞れます。「廿」は二十、「卅」は三十を表す字で、古い石碑ではよく使われます。
文字が見えにくいときは、斜めから光を当てて影を作ると輪郭が浮かびます。石を削ったり、墨やチョークを直接詰めたりすると石を傷めますので、まずは写真に撮り、明るさを変えて見比べるところから始めてください。彫りの浅い石はたわしでこすると角が落ちます。水で湿らせてやわらかい布で土を落とす程度にとどめるのが、石を長持ちさせる扱い方です。
お寺の由緒に「寛永年間創立」と書かれるのはなぜか
寺院の由緒を読んでいると、「寛永年間の創立」「元禄年間の建立」といった書き方によく出会います。年まで書かずに「年間」とするのは、何年のことかを示す確かな記録が残っていないという意味です。年が分かっていれば「寛永十三年建立」と書けますし、棟札や古文書が残っていればその出典とともに記されます。
江戸時代の寺は、火災・水害・戦災・廃仏毀釈など、記録を失う機会が何度もありました。書き継がれてきた寺誌が焼ければ、創立の年も開基の僧の名も分からなくなります。そこで、言い伝えとして残る範囲で「寛永年間」と幅をもたせて記すわけです。由緒書きに「伝えられる」「と伝わる」とある箇所は、文献で裏づけが取れていない部分だと読み替えると、記述の確かさを見分けやすくなります。
当山の場合
当山も、寛永年間(1624〜1644年)の創立と伝えられていますが、のちの荒廃によって記録が残らず、開基は分かっていません。もとは和歌山県の粉河村にあり、寛文7年(1667年)に紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣公の病気祈願のため、徳川家の命によって藩主隠居用に建てられた紀州陽山御殿へ移っています。その後、陽山御殿は湊へ移りましたが、お堂はそのまま残されて衰微しました。
これを嘆いた養珠寺六世 称智院日禅上人が、五代藩主・徳川吉宗公より正徳2年(1712年)に一千三百餘坪の土地を拝領し、現在の地に堂宇を建てて再興しました。このときに建てられた寄せ棟造りの本堂が、修理と補強を重ねながら今も建っています。創立の年が分からない一方で、移転と再興の経緯は年まで伝わっている――古い寺の記録には、こうした濃淡がしばしばあります。
寛永年間はどんな時代だったか
年号の意味をつかむには、その時代の輪郭を知っておくと役に立ちます。寛永年間は、関ヶ原から四半世紀ほど過ぎ、戦乱の記憶がまだ生きている一方で、幕府の制度が固まりつつあった時期です。寛永13年(1636年)には寛永通宝の鋳造が始まり、のちに江戸時代を通じて使われる銭となりました。寛永14年(1637年)には島原・天草の一揆が起こり、その後、海外との行き来を厳しく制限する体制が整えられていきます。
ご先祖様をたどるうえで関わりが深いのは、この時期から人々がどこかの寺に属していることを寺が証明する仕組みが広がっていったことです。寺が檀家の生没を書き留める過去帳(かこちょう/寺が故人のお戒名・俗名・没年月日などを記録しておく帳面)を備えるようになったのも、この流れのなかにあります。江戸時代前期までさかのぼる系譜が寺の記録から出てくることがあるのは、こうした経緯によります。
寛永の年号を手がかりにご先祖様をたどる手順
墓石に寛永の文字を見つけたあと、何をどの順で当たればよいか。実際に動くときの流れを挙げます。
1.墓地にある石をすべて記録する
一基だけ見て終わりにせず、同じ区画の石を一通り写真に撮り、刻まれた年号と戒名を書き出します。年代の古い順に並べると、家の流れが見えてきます。石が傾いていたり倒れていたりする場合は、無理に動かさず、見える面だけを記録してください。
2.菩提寺の過去帳を確かめる
墓地を管理しているお寺に過去帳が残っていれば、墓石より詳しい記載があることがあります。ただし過去帳は他家の記録も同じ帳面に並んでいるため、そのまま閲覧できるとはかぎりません。どなたの、いつ頃の記載を知りたいのかを先に伝えておくと、話が進みやすくなります。合祀(ごうし/複数の方のご遺骨を一つの場所に合わせて納めること)のあとも記録がどう残るのかが気になる方は、永代供養の合祀と過去帳、迷う方へ|記録の残り方とお参りもあわせてご覧ください。
3.宗派と本山をたどる
お寺の由緒は、本山(ほんざん/宗派の中心となる寺)の記録に残っていることがあります。末寺(まつじ/本山に連なる地方の寺)としてどこに属していたかが分かると、調べる先が一つ増えます。関係の見方は末寺とは、供養先を探す方へ|本山との関係と確認4点に整理しています。
4.公的な記録に当たる
明治以降は戸籍があり、各自治体で手続きを踏めばさかのぼれる範囲があります。江戸期については、自治体史(市史・町史)や県立図書館・文書館の郷土資料に、村ごとの記録や寺社の由緒が収められていることがあります。紙の史料は検索では出てきませんので、窓口で調べ方を尋ねるのが早道です。
古い墓石をたたむとき、年号の記録をどう残すか
寛永までさかのぼるようなお墓は、後の世代に引き継ぐ方がいらっしゃらず、墓じまいを考えざるを得ない場合があります。このとき惜しまれるのが、石とともに刻まれた年号や戒名が失われてしまうことです。
石を撤去する前に、全面を写真に撮り、読み取れた文字を紙に書き起こしておくことをおすすめします。石は無くなっても、記録は残せます。書き起こしたものは、ご供養をお願いするお寺にお渡しすると、過去帳に記していただける場合があります。
当山では、墓じまいのあとのご先祖様の永代供養を1家分20万円、納骨のみの場合を10万円でお受けしており、お預かりしたお骨は過去帳に記して供養いたします。供養塔へのお名前の刻銘は1枚3万円です。なお、石材の撤去や行政手続きの代行は扱っておりません。お受けするのは、そのあとのご供養です。費用の内訳や見学の流れについては、和歌山の寺へ初めて相談する前に、費用の内訳と見学の流れに記しています。
年号を読み解くことは、記録を未来に引き渡す作業でもあります。寛永の二文字が読めたなら、それは四百年近く前の方が、この世に生きていた証です。その事実を書き留めておくことが、何よりのご供養になるように思います。
寛永年間は西暦でいつからいつまでですか。
墓石に「寛永」とだけあって年が読み取れません。どう扱えばよいですか。
お寺の由緒に「寛永年間創立」とあるのは、なぜ年まで書かないのですか。
古い墓石をたたむとき、刻まれた年号や戒名を残す方法はありますか。
同じご先祖様の没年が二つの年号で書かれています。どちらが正しいのですか。
ご相談・ご予約
ご相談・ご見学は、お電話(073-422-7968/受付 7:00〜18:00)またはフォームからお受けしています。住職 蘆田恵教が直接お受けします。
ご不明な点は、そのままお尋ねください。無理におすすめすることはありません。